【小説】それぞれの後悔 Episode 3

それぞれの後悔

一週間前。

モコから「姉さんが目を覚ました」と聞いて、ライカはすぐに病室へ向かった。

けれど、会えなかった。

リタは、自分が軽率だったことに気づいて激しく落ち込んでいた。

しばらくそっとしておいてあげてほしいとリタの両親の意向で、面会は叶わなかった。

その数日後。

ライカのスマートフォンが震えた。

リタ本人からLINEが届いた。

『ライカ、ごめんね。お見舞い来てくれたんだってね。うちの親が帰らせちゃったみたいでごめん。』

『もしよかったら、どうやって私たちが助かったのか、あの日のこと聞かせてほしいな。』

『時間合う時で全然構わないから。待ってるね。』

『鈴も順調に回復しているって聞いたから、安心してる。』

――そして今日。

病室の窓から差し込む夕陽が、白いカーテンを淡く朱色に染めていた。

消毒液の匂いが漂う静かな病室で、リタはベッドにもたれ、窓の外をぼんやり眺めている。

包帯の巻かれた腕は、まだ自由に動かせない。

痛みは和らいできたとはいえ、以前のように身体を動かせるには程遠かった。

コンコン、と控えめなノックが響く。

「失礼します」

聞き慣れた声に、リタは勢いよく振り向いた。

「あ、ライカ! 待ってたよ!」

ドアを開けて入ってきたライカは、小さく笑って紙袋を掲げる。

「差し入れ。先輩が好きなプリン、買ってきました」

「おぉ! さすが私の後輩。分かってるねぇ」

包帯の巻かれた腕で受け取ろうとして、顔をしかめる。

「痛っ……」

それでも笑顔は崩さなかった。

ライカはベッド脇の椅子へ腰を下ろす。

学校のこと。

文化祭のこと。

他愛のない話が続いた。

しばらくして、リタが思い出したように口を開く。

「ねえ、ライカ」

「はい?」

「あの日のこと、聞いていい?」

「どうやって私たちが助かったのか、教えてほしい」

「……うん」

ライカは少しだけ間を置いてから、口を開いた。

「あの日、私たち以外の演奏妖精が助けに来てくれたんです」

「うん……そうらしいね」

「はい。紫音ちゃんって言うんですけど」

ライカは、あの日を思い出すように少し遠い目をした。

「私、リタ先輩と鈴先輩がピンチだった時、怖くて動けなかったんです」

「でも、あの怪物がどうしても許せなくて。絶対に負けないって思って」

「もう、やけくそで倒してやろうと思ったんですけど、全然攻撃が効かなくて」

「心のどこかでは、もう諦めかけてた……」

ライカは一度、言葉を止めた。

「もうダメだ、って思った時、その子が怪物の前に立っていたんです」

小さな背中だった。

少しも怖がっているようには見えなかった。

私には、その小さな背中が、とても大きく見えた。

「私、呆然としちゃって。何が起こったのか、よく分からなかった」

「目の前に、綺麗な女の子が立ってて……『早く逃げて! あとは私が引き受けるから!』って」

「それで、私たちから怪物を引き離すように、どんどん離れていって。戦ってくれたんです」

「だから私、先輩たちのところに戻ることができて……」

「リタ先輩は大丈夫だった。息してたから」

「でも、鈴先輩がすごく大変なことになってて」

「怖くなって、もう私じゃどうにもできないって思って」

「それで、誰か助けて! って叫びながら、走り回ったんです」

「そしたら、救急隊員の人が待機してくれてたみたいで、すぐに見つけてくれて」

「その人たちに先輩たちのことをお願いしたんです」

「救急隊員の人が、私も病院へって言ってくれたんですけど……」

ライカの声が、少しだけ切なくなる。

「助けてくれた、あの子のことが頭から離れなくて」

「あの子が戦ってくれてるのに、私だけ逃げるなんてできなくて」

「すぐに戻らなくちゃ!って思って」

「また、怪物のところに戻ったんです」

「戻ったら、紫音ちゃんがピンチで」

ライカは小さく息を吐いた。

「そこからはもう無我夢中だったから、正直あんまり覚えてないんですけど……」

「助けなくちゃ! って思って」

「だって、ありがとうも言えてないのに!」

その声に、少しだけ笑いが混じった。

「なんか、普段だったらめっちゃミスるようなリフも弾いた気がします」

「全部ぶつけた気がする」

「紫音ちゃんと一緒に、無我夢中で怪物と戦って……」

「気づいたら、怪物は消えてました」

ライカは、静かに笑った。

「だから、紫音ちゃんが助けてくれたんですよ。私たちのこと」

その言葉には、心からの感謝が滲んでいた。

「紫音ちゃんが助けてくれなかったら、私も助からなかったです」

リタは微笑んだ。

「へぇ。会ってみたいな、その子」

「命の恩人じゃん」

「退院したら、お礼言わなきゃ」

それから、少しだけ間を置いて。

「あとさ、ライカも」

「私にとっての命の恩人だよ」

「ありがとうね。ライカ」

「えぇ!? どうしたんですか、急に改まって。先輩らしくない」

ライカが少し驚いたように笑う。

リタも笑った。

けれど、その笑顔は長く続かなかった。

窓の外へ目を向ける。

夕陽が、ゆっくりと街を赤く染めていた。

やがて、リタがぽつりと口を開く。

「……でもさ」

「わたしが一緒に演奏妖精やろう、なんてライカを誘わなければ……こんなことにならなかったよね」

視線が、白い包帯へ落ちる。

「あんたは普通の高校生だった」

「鈴だって、あんな目に遭わなかった」

「そんなこと――」

ライカが言いかける。

リタは首を振った。

「最初はさ、演奏妖精って面白そうじゃん、くらいだった」

「私にはライブの延長線上みたいな感じ。目立って、カッコつけて」

苦笑が漏れる。

「たまたま学校に現れたファントムやっつけちゃって、いい気になって」

「鈴とライカ誘って。そしたら、二人も戦えるって分かって……運命だ! とか思った」

「あちこち走り回って戦って――」

リタは、自分の包帯を見つめる。

「でも、結果がこれ」

「攻めることしか考えてなかった」

「自分が吹っ飛ぶのはいい」

「でも……」

リタは顔を上げ、ライカを真っ直ぐ見た。

「あんたと鈴は違う」

「わたしが巻き込んだ」

短く息を吸う。

「だから……もう、戦うのはやめてほしい」

ライカは俯いたまま黙っていた。

静かな時間だけが流れる。

やがて、ライカが小さく口を開いた。

「……先輩が言いたいことは、分かりました」

顔を上げる。

「でも、ごめん。私、やめないよ」

リタが眉を寄せる。

「なんでよ。あんたはもう戦う必要なんてない!」

「私が巻き込んだだけなんだから!」

ライカは、窓の外の夕焼けを見つめた。

「….そうですね。怖いです」

それでも、ライカは小さく笑った。

そして、顔を上げる。

「でも、紫音ちゃんが戦ってるんです」

「私だけ普通の生活に戻るなんて、できない」

その瞳に、もう迷いはなかった。

「助けてもらったから、恩返ししたい。でも、それだけじゃないです」

「私も先輩みたいに、紫音ちゃんみたいに、自分の意志で戦いたい」

「怪物が本当にいて、なぜか自分には、戦える力があるみたいだから」

「だったら、誰かの役に立てるなら、私は戦います」

「何より……ひとりで戦ってる紫音ちゃんの側にいて、一緒に戦いたい」

「今は、そう思ってます」

ライカは一度、言葉を止めた。

「先輩は、きっかけをくれたんです」

「みんなと一緒に戦ってるとき、楽しかった」

「でも、今回のことで……戦いが甘くないことも分かりました」

「それでも、戦わなくちゃって思ってるんです」

「誰かを守れる力が、自分にあるって気づかせてくれたのは先輩です」

「だから……もう、迷わないです」

リタは、しばらくライカを見つめていた。

「……そっか」

それだけ言って、窓の外へ目を向ける。

夕陽は、もうほとんど沈みかけていた。

しばらく、二人とも何も言わなかった。

やがて、リタが静かに口を開く。

「わたしさ」

「それでも、ライカに戦ってほしくないって思ってる」

「怖いよ」

リタは、包帯の巻かれた自分の腕に目を落とした。

「あんたに万が一のことがあったらって思うと……怖い」

「でも……もう、止めないよ」

ライカが、少し驚いたようにリタを見る。

「だって、あんたが自分で決めたんだもんね」

「……はい」

「だったら、わたしも応援しなきゃね」

リタは、ほんの少し笑った。

「自分が巻き込んだ後輩が、自分の意志で戦うって言ってるんだもん」

「先輩……」

「ただし!」

リタが急に真剣な顔になる。

「ライカ。お願い」

「無茶だけは、絶対にしないで」

「私、あんたに何かあったら……本当に自分を許せなくなる」

「だから、私のためにも無茶はしないで」

ライカは、少し困ったように笑った。

「難しいお願いですね」

「しかも、先輩らしい自分勝手なお願いです」

「なによ、それ」

「でも……分かりました」

ライカは、リタを真っ直ぐ見た。

「無理はしません。約束します」

「……うん」

リタは小さく頷いた。

けれど、その約束を聞いても、不安が消えるわけではなかった。

戦う以上、何も起こらないなんて保証はどこにもない。

ライカだって、それくらい分かっているはずだ。

きっと、この約束だけで安心できるほど簡単なことじゃない。

それでも。

もう、ライカを止めることはできない。

自分が決めた道を歩き始めた後輩を、今度は信じるしかなかった。

「……じゃあ、絶対、無理はしないこと」

「絶対だからね」

「はーい」

ライカは、少し気のない返事を返した。

リタがじっと睨む。

「……なんか、リタ先輩、お母さんみたい」

「え?」

一瞬きょとんとしたあと、リタは吹き出した。

「あはは。私も、お母さんの気持ちがちょっと分かったよ」

「子どもが危ないことしようとすると、止めたくなるんだね」

「誰が子どもですか」

「後輩」

「雑すぎません?」

二人は顔を見合わせて笑った。

さっきまで胸の奥にあった重さが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。

リタはまだ怖かった。

ライカが戦うことを、心から安心して受け入れたわけでもない。

それでも今は。

こうして笑い合える時間を、大切にしたかった。

夕陽が沈み、病室に静かな夜が近づいていた。

二人はそれから、また他愛のない話をした。

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