最後の雷鳴が消えた。
崩れたアスファルトの上に、静寂が降りる。
焦げた空気。舞い落ちる粉塵。
商店街を覆っていた異様な気配は、もうどこにもなかった。
巨大なファントムは完全に消滅していた。
雷皇はその場にへたり込みながら、震える声を漏らした。
「……やった……」
信じられないものを見るように、自分の手を見つめる。
「やった……倒した……」
紫音もまた、肩で息をしながら小さく頷いた。
「うん……やったね……」
しばらくの間、二人は何も言えなかった。
ただ、生きていることを確かめるように息を吐く。
やがて紫音が、少し照れたように笑った。
「ありがとう……助けに来てくれて……」
「えっ!?」
雷皇が勢いよく顔を上げる。
「な、何言ってるの!?」
その反応に紫音が目を丸くする。
雷皇は慌てたように首を横へ振った。
「それ、こっちのセリフだよ!」
声が震える。
必死に抑えていた感情があふれ出していた。
「あの時……あなたが来てくれなかったら……」
言葉が詰まる。
脳裏に蘇る。
迫る絶望。押し潰されそうだった恐怖。
「私……たぶん死んでた……」
雷皇は拳を握りしめた。
「だから!」
夕陽を受けた瞳が、まっすぐ紫音を見つめる。
「こちらこそだよ!」
思わず声が大きくなる。
「本当に……本当に助けてくれてありがとう!」
一瞬の沈黙。
そして。
「うふふ……ふふふふ」
紫音が笑い出した。
「えー。なんで笑うのー?」
紫音は笑いを堪えながら言う。
「助けなきゃって思ったのに、助けられちゃった。あははは。」
雷皇も嬉しくなって言う。
「助けてもらったのに、助けちゃった。」
「ねー」「ね!」
二人の声が重なる。
「あはははは!」
「うふふふふ……あははは!」
さっきまで命を懸けて戦っていたとは思えないほど、二人は笑った。
ただ笑った。
それだけで、不思議なくらい心が軽くなった。
やがて雷皇が少しだけ真面目な顔になる。
「あのさ」
紫音が顔を上げる。
「ん?」
「名前、聞いてもいい?」
紫音が微笑んだ。
雷皇は自分の胸に手を当てる。
「私、らいか。」
少し照れながら続ける。
「雷皇って名乗ってる。」
「私は紫音。」
柔らかな声だった。
「よろしくね。らいかちゃん。」
一瞬、雷皇の表情が固まる。
そして次の瞬間、ぱぁっと顔が明るくなった。
「うん!」
満面の笑み。
「よろしく! 紫音ちゃん!」
遠くからサイレンが近づいてくる。
誰かの叫び声。
走る足音。
街のざわめき。
現実が、二人のもとへ戻ってきた。
雷皇が苦笑する。
「……警察とかSSSAだろうね。」
「うん。」
紫音も困ったように笑った。
周囲には壊れた道路。
砕けた街灯。
戦いの痕跡が無数に残っている。
紫音は立ち上がった。
「らいかちゃん、ごめん。」
「ん?」
「私、もう行くね。」
雷皇が驚く。
「えっ?」
「行っちゃうの?」
「うん。」
「でも怪我とか――」
「大丈夫。」
紫音は優しく首を振る。
「私は平気。」
そして少しだけ困ったように笑った。
「大騒ぎになるのは、ちょっと苦手だから。」
「そっか……うん、わかった。」
その時、救急車が勢いよく停車した。
救急車が止まると、先ほど別れた救急隊員が真っ先に飛び降りてくる。
「いた!」
「無事だ!」
紫音と雷皇のもとへ全速力で駆け寄る。
二人の無事を確かめると、救急隊員はほっと息をついた。
崩れた道路。
砕けた街灯。
抉れた建物。
そして、跡形もなく消え去ったファントム。
その光景を見渡し、再び二人へ視線を戻す。
「……倒してくれたんだね。」
「本当に、ありがとう。」
その一言には、心からの安堵と感謝が滲んでいた。
雷皇は照れくさそうに笑う。
紫音も小さく頭を下げた。
しかし次の瞬間、救急隊員の表情が一変する。
「――さて。」
パン、と手を叩く。
「二人とも病院だ。」
「え?」
「はいはい、立てる? 立てるなら歩いて。無理なら担架。」
「え、えっと……私は大丈夫で――」
「却下。」
食い気味だった。
「君、自分の怪我、見えてる?」
紫音は自分の腕を見る。
裂けた袖。
滲む血。
「あ……。」
「『あ』じゃありません。」
「ボロボロじゃないか。」
救急隊員は苦笑した。
「二人とも重傷なんだから。」
そこへ一台の黒い車両が現場へ滑り込んできた。
車体には《SSSA》の文字。
制服姿の職員たちが次々と降り立つ。
「状況確認。」
「東葉駅前地区に出現した大型ファントムの完全消滅を確認。」
「警察と連携し、周辺住民の救助活動を開始。」
「マスコミおよび報道陣の規制を開始します。」
無線が飛び交う。
規制線が張られ、警察官が住民を誘導していく。
遠巻きには野次馬や報道陣が集まり始めていた。
「何があったんだ?」
「テレビでやってた怪物じゃない?」
「あっ、演奏妖精だ!」
スマートフォンを構える人影が次々と増えていく。
紫音は帰ろうと視線を巡らせた。
けれど、もう遅かった。
右を見ても――野次馬。
左を見ても――報道陣。
前には救急隊員。
後ろには救急車。
(……これは。)
(もう救急車に乗るしかない……。)
紫音は観念した。
「そうそう。」
救急隊員が満足そうに頷く。
「素直が一番。」
「さ、乗った乗った。」
優しく背中を押される。
雷皇は思わず吹き出した。
「あははっ!」
「紫音ちゃん、かわいい。」
「うぅ……。」
少しだけ頬を赤くしながら、紫音は救急車へ乗り込んだ。
二人が並んで腰を下ろすと、救急隊員が静かに扉を閉める。
窓の外ではSSSA職員たちが現場検証を始め、
警察官が周囲の安全確保に追われていた。
壊れた商店街では、救助と復旧に向けた活動が慌ただしく始まっている。
救急車がゆっくりと走り出した。
夕焼けの街並みが窓の外へ流れていく。
「あ、そうだ!」
救急隊員が思い出したように口を開く。
「雷皇さん。」
雷皇が顔を上げる。
「君が助けを求めてくれた二人の先輩なんだけど。」
雷皇の表情が一気に強張った。
息を呑む。
拳を握り締める。
「二人とも無事です。」
「怪我はかなり重いが、一命は取り留めている。」
「これから先は治療次第だ。」
「だから安心していい。」
一瞬、時間が止まった。
「……え?」
雷皇は目を見開いたまま、救急隊員を見つめる。
「……本当に?」
「ああ。本当だよ。」
その言葉を聞いた瞬間。
張り詰めていた糸が切れた。
「……よかった。」
小さな声。
「よかったぁ……。」
涙が溢れる。
止まらない。
雷皇は思わず紫音へ飛びついた。
「紫音ちゃん……!」
声を上げて泣いた。
ずっと不安だった。
先輩が倒れた時も。
一人で助けを呼び続けた時も。
ファントムと向き合った時も。
だから今、嬉しさと安堵が涙となって溢れ出す。
「よかったぁ……。」
「本当に……よかったぁ……。」
紫音は何も言わなかった。
ただ、泣きじゃくる雷皇の背中を、優しく、何度もさすり続けた。
救急車は夕暮れの街を静かに走る。
窓の外では、壊れた東葉銀座商店街が少しずつ遠ざかっていく。
END
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